※注意
・このスレでは両者のVtuberとしての特徴と魅力をメタ的な視点から語っています。お二人を知らない方、メタNGという方は閲覧をお控え下さい。
・メタ的な視点からVtuberについて皆さんの意見を知りたくスレ立てさせていただきましたが、荒れそうな場合はすぐに落として構いません。
・結論としては「どちらもすごいからすこって」という話を長々と語っています。比較してどちらかを下げるといった意図はありません。しかし、不快に思われるような表現が含まれていた場合はご了承下さい。
竜胆尊
彼女には、鬼の国の女王という現実に存在しない世界に生きる存在を、本当に現実に存在し得るのではないかと視聴者を信じさせる、或いは錯覚させるほどの説得力がある。そしてそれが彼女の最大の魅力であると感じる。
それは、彼女が幼い見た目でありながら、数千年の時を生きた人ならざる者なのだろうと想像できる要素が、その口調や身の上話、リアクション等に反映されており、
深夜の飲酒配信といったアクシデントの起きるリスクが高い内容のコンテンツを扱いながらも、常時自身の振る舞いを崩すことはないのだ。
RPという行為は著しく体力的・精神的なコストを必要としており、それによって築いてきたキャラクターとしての背景や設定が、自身の不注意によって崩れた時のリスクは大きい。また、他のVtuberと交流する際に、他者に自身に対して配慮してもらう必要がある(暗黙の了解ではあるが)。
そのため、Vtuberにとって自己紹介の際語られた身の上や世界観等の要素が、実際には形骸化することも珍しくはない。しかしリスナーもRPによって負担するコストやリスクを理解しているため、それがあまりにもVtuberのキャラとしての側面とかけ離れているか、他者に迷惑をかけるといった悪質なものでない限り、それを受け入れる(妥協)することが多い(単に素の人格に魅力を感じているということもあるが)。
しかし竜胆尊という人(鬼)は、
「数千年生きる」「異世界」の「人外」という、忠実にRPを行っているVtuberの中でも、特に多くの非現実的な要素を持っている。
彼女の最大の魅力は、彼女がその存在を保つための努力をしていると視聴者に感じさせない努力にあり、Vtuberの持つキャラクターという要素に、人格が限りなく近づいて行くことで、Vtuber黎明期に言われていた「アニメキャラとおしゃべりできる」を体現した存在となっていることにあると考える。
余談
個人的に深く感動を覚えた場面として、配信初期によわよわだったカタカナ語が勉強をすることで徐々に上達していったことである。これによってRPの負担を減らしながら、彼女が現実世界に馴染みのない存在であることと、徐々に我々(と我々の世界)に馴染んできていることで、非現実的存在と交流できる感覚と、お互いのことを知り合う親近感をリスナー深く印象付けることに成功した。
ヤマト イオリ
彼女の魅力はその人間性にあり、性善説の擬人化と呼ばれるほど純粋で無垢な心の持ち主であることだ。一生に一度のお願いについてのお話は、彼女の性格を語る上で外せないエピソードの一つだろう。
彼女の配信後に謎の疲労と共に不思議な充足感を得たという視聴者を多く見かける。これは、近況や不思議に思っていることなど、さまざまなお話をする彼女の様子には、「早くみんなさんにお話したい」という純粋な気持ちがあり、ゆったりハイペースなトークからその思いが視聴者に伝わっているのだろうと考える。
これは天性のものであり、どんなに努力を重ね彼女の話し方や振る舞いを真似しても、その心までを完全にトレースすることはできない。
彼女が心から楽しそうに「そうだ!あのね、みんなさんね?」と話しかけてくれるからこそ、視聴者も「うんうん」と優しく頷いているのだろう。
彼女の配信を初めて見た視聴者の中には、「こんなにいい子がこの世界にいるのか」という感想を持つ人も少なくない。
彼女の心という存在は、我々にとってある意味で最も非現実的な(誤用ではあるがバーチャル的な)存在に近いものであり、一部の視聴者は「きらら作品の主人公みたい」「日常系アニメみたいな世界」と形容する。
両者の違いとして最も決定的な点は、Vtuberのキャラクターと素の人格という2つの側面にある。前者はキャラクターに対して、文字通り魂を吹き込むことで、決められたセリフに縛られず、視聴者との双方向のコミュニケーションを可能にした生きたアニメキャラクターと呼ぶべき存在となった。
一方後者は、素の人格がほぼそのまま二次元のキャラクターとしてのアバターを介している(もしかしたら我々が見ているものは全て演技であるという可能性も無いとは言えないが)。しかし、その人格こそが現実のものでありながら浮世離れしており、二重の意味で「Vtuber界の天然記念物」と称された理由でもある。
Vtuber界において、魂の持つ魅力は代わりの効かないものである。人気のイラストレーターや声優、優れたトラッキング技術を有するスタッフが携わっていても、一定の人気を得ることは出来るが、そのコストに見合った結果が数字に表れている例は多くない。
これは裏を返せば誰にでもチャンスが与えられているということでもあり、それ故にVtuberとしての魅力には強烈な個性が必要なのだ。その個性というのは、前者は忠実なキャラへの憑依であり、後者は生来の人柄にある。
両者のボイスグッズ等を購入した者としてあえて比較するならば、前者はVtuber以外の道でも成功出来るマルチな才能を有している。演技や声質、絵の才能など、多方面でその技術を生かすことが容易に想像できる。
後者は、Vtuberとなるために生まれたような資質の持ち主だと感じる。ボイスやアイドル部の日常が収められた動画に登場する彼女の様子は、配信の様子となんら変わらない「素」のヤマト イオリなのだ。これはもはや努力でたどり着くには不可能に近い。なぜなら彼女はヤマト イオリになっているのではなく、極端な言い方をするならば、アイドル部としてデビューするずっと前から彼女はヤマト イオリであったからだ。これまた極端な話となるが、仮に前者が竜胆尊とは異なるVtuberとして生まれていたとしても現在のような人気を得ていたに違いない。
仙水が言ってたコウノトリを信じてる云々っていう下りが初めて理解できたのはイオリンに会ってからだったわ、自分は大事にしたい側に意識が向くがな
本当に素敵だと思う
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